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高森明勅
2019.10.12 18:24日々の出来事

スイス・ミューレンでの情景

数学者で作家の藤原正彦氏。
奥様とご一緒に、亡き父、新田次郎ゆかりの地、
スイス・ミューレン村を訪れられた。

同村はアイガー、メンヒ、ユングフラウの3名峰に対峙する、
切り立った崖の上の狭小な地にある。
絶景なのに“隠れ家”のまま。
そこで出会ったイギリス人親子とのやり取りを記されていた。

「夕食前の散歩中、小ぢんまりとした木造教会の芝生のベンチに腰をかけ、
暮れなずむ山々を眺めている五十代半ばと思われる男性と、
母親であろうか品のよい婦人に
目が止まった。
絵のような光景だったので、思わず話しかけた。

『よくこちらに来られるのですか』
『毎年母と来ています』
『この景色ですからね』。
母親が『初めて来た50年前はアイガーもユングフラウも全山真白でしたが、
最近は温暖化のせいでしょうか、雪がすっかり後退しました』と言った。

『どれ位滞在ですか』と聞き返すと母親が『2週間(fortnight)』と言った。
『英国の方ですね』
『どうして分かりました』
『英語です』。
2人はうれしそうにうなずいた。

美しい英語やフォートナイトなどという単語は、
英国中上流階級だけのものだからである。

男性はバーミンガム近くの町の牧師だった。
『あなた方はどうしてここに』『作家だった父は55年前、憧れのアルプスを見ようと
3カ月間スイスを回りました。私達はその時の父の足跡をたどるつもりです』。
男性は『追憶の旅なのですね』と言うと何を思ったのか一瞬目をうるませ、
私達から目を離すと正面の山々を無言のまま見上げた。
しばらくして口を開いた。

『お子さんは』『碌(ろく)でなし息子達が3人います』。
男性は一笑してから急に真面目な顔となり、
『あなたの言う碌でなし息子達が、55年後にあなた方の足跡を訪ね
ここに来ることでしょうね』と言った。

話が弾み、辺りがすっかり薄暗くなったのでいとまを告げると、
彼はベンチからすっと立ち上がりこちらに歩み寄ると、
『あなた方と素晴らしいお話ができました。本当にありがとう』と言って
私達に堅い握手をした。
教会の細道を下りながら見上げると、アイガーの西壁が夕陽にほの赤く輝いていた」

―印象的な情景だ。
バーミンガム近くの町の、急に目をうるませた牧師の男性は、
ひょっとしたら彼自身の父親への「追憶」を呼び起こされたのかも知れない。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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